全国消団連「食のリスクを考える-氾濫する『安全・安心』をよみとくためには」(質疑応答)

前編後編と続いた、全国消団連による学習会「食のリスクを考える-氾濫する『安全・安心』をよみとくためには」の傍聴記録ですが、今回は質疑応答の一部をご紹介したいと思います。

会場からの質問は用紙に記入して回収するかたちで集め、回答は全て今回の講演者、(独)産業技術総合研究所の安全科学研究部門長の中西準子氏です。


●食のゼロリスクからどのように脱却すればいいのでしょうか?
→(中西氏)ゼロリスクの考え自体がいけないと言っているわけではありません。しかし、リスクをゼロにすることでどうなるのか?を考えれば、そうするわけにもいかないことが分かると思います。
あるリスクをゼロにすると、別のリスクが大きくなる、費用がかかる、という二つの問題が起こります。

ペルーで水道水の塩素消毒を止めたらコレラが流行したということがありました。塩素消毒の副生成物の発がん性を嫌って行ったことが、別の大きなリスクを引き起こしてしまった例です。
実は、こうしたリスク・トレードオフの考え方は、普段の生活でしています。例えば乱暴な子どもがいるとき、自分の子どもは危ないから遊ばせないとか、そうではなくて、社会性を持たせるために遊ばせるとか。そうしたマネージメントはしょっちゅうしているはずなのですが、環境問題や食の問題になると急に構えてしまっているのです。

また、お金はいくらでもかけてもいいのか、ということもあります。家族に末期がんの人がいると、「ここまではお金をかけて治療する」ということをよく考えると思いますが、国の問題となると、「リスクをなくすためにはいくらお金を使っても当然だ」となってしまっているのです。


●リスクに関する情報を知り得ない市民はどうすればいいのでしょうか?
→(中西氏)本当にそうでしょうか。市民活動をしているということは、ハザードの情報は入ってきているということです。
リスクを考える上では、曝露量を考えることが大切です。そのためにできることは、自分がどういう生活をしているのか?どういうものを食べているのか?など、シナリオをたどってみることです。
詳しい計算は研究者がやればいいので、みなさんにはどういうシナリオで毒性物質が体内に入るのかを冷静に考えてほしいです。


BSEの全頭検査に意味がないとはどういうことですか?
→(中西氏)私の著書(*)に詳しく書いてありますが・・。ポイントは、十分に低いリスクをさらに低くすることにお金をかける意味があるのかということと、全頭検査は重症のものしか検出できないので危険部位除去の方が効果的だ、ということです。
*「食のリスク学 氾濫する『安全・安心』をよみとく視点」(2010年日本評論社、定価2,100円)


●交通事故による死と食による死は、受ける心のダメージの大きさが違うと思いますが、それについてはどう考えますか?
→(中西氏)私が今回お話したのは、社会政策のための方法としてのリスク評価です。
交通事故による死と食による死の違いと言っているのは、その裏にあるベネフィットの大きさの違いからくるものだと思います。つまり、それがなくなったときの打撃の大きさです。
現在はたくさんの食品があるので、この食品がダメなら他でもいいや、となります。自動車はそれ自身の便利さがあるために、交通事故のリスクは許容されてきたのです。実はこれまでもそうやってリスク・トレードオフを考えてきたのです。


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今回の講演内容についてより詳しく知りたい方は、中西氏の著書「環境リスク学 不安の海の羅針盤」(2004年日本評論社、定価1,890円)と「食のリスク学 氾濫する『安全・安心』をよみとく視点」(2010年日本評論社、定価2,100円)を読んでみてください。