全国消団連「食のリスクを考える-氾濫する『安全・安心』をよみとくためには」(後編)

前編に引き続き、全国消費者団体連絡会による学習会「食のリスクを考える-氾濫する『安全・安心』をよみとくためには」での、(独)産業技術総合研究所の安全科学研究部門長、中西準子氏によるリスク評価についてのお話をご紹介します。

前編では、氏が取り組まれたダイオキシン問題からみえてくる問題点として、「リスクとハザードの区別がつかない」ということがありました。
リスクとハザードの区別、それはどういうことなのでしょうか?


☆食のリスクを考える((独)産業技術総合研究所安全科学研究部門長、中西準子氏)

【リスクとハザードの違い】
ハザードとは、物質の毒性の強さのことで、1g当たりや質量当たりで表わされます。例えば、1gあたりの毒性が非常に強いものは問題だ、というようなことになります。

それに対して、リスクは悪い影響の大きさです。基本的には、影響の大きさと曝露量の二つで決まります。だから、曝露量が小さければ、1gあたりの毒性が強くても問題がないということになります。逆に、毒性が弱くても、曝露量が大きければ問題だということもあります。

ハザードに基づいた規制では、毒性が強い物質=使用禁止、となります。一方でリスクに基づいた規制では、毒性が強くても使用量を小さく制限すれば大丈夫、となります。日本はずっとハザードに基づいた考え方をしてきました。


毒性を評価する際には、動物に与えても影響が見られなかった投与量、つまり無影響量(NOAEL)を求めることから始まります。そして、NOAELの値から、人間が一生涯に渡って毎日摂取しても問題のない量である一日摂取許容量(ADI)を算出します(*1)。
*1:詳しくは「知っておきたい『残留農薬の安全性』」をご覧ください。

この場合は、摂取量をADIで割ったものをハザード比といい、これが1より小さければリスクがなく、1より大きければリスクがある、としています。1より大きいときは、摂取量がADIを超えたということで、これは私たちがずっと使いなれている概念です。
しかし、発がん性物質に関してはNOAELがなく、どんなに少ない量でもリスクはあるという考え方をします。この場合は、「このくらいの摂取量だったらこのくらいのリスクがある」というような確率論的な議論をします。


【ハザード評価ではなぜダメなのか?】
ハザードは、同じ量だったらこちらの方が危険だということは分かります。しかし、逆にいうと物質のポテンシャルしか分からないということです。
その時代でもっともハザードのあるものはダメ、とすることは簡単なのですが、そうやって次々に規制をしていくと、その次の世代ではハザードがそんなに大きくないものでも規制するようなことになってしまいます。

リスクは、「この程度なら我慢しましょう」「この程度は規制しましょう」というように、摂取量を規制することでリスクを規制することができます。砂糖も塩も油もほうれん草も薬品も殺菌剤も・・摂取量が多すぎると体によくありません。
こうしたリスクの管理は普通の生活のなかでは簡単にやっていることですが、「有害物」が検出されたら、リスクのことなんて忘れてハザードで考えてしまいがちなのです。


【リスクはゼロであるべき?】
BSEのとき食品安全委員会に出されたパブリックコメントには、「リスクはゼロであるべきだ」と書いている人がたくさんいます。こういう考え方は一般的にすごく強いようです。
それでは、リスクがゼロの世界はどういうものでしょうか?例えば、次のようなことが考えられます。
・病原菌がまったくいない無菌室での生活
・自然由来のものを食べない(自然の産物には様々な病原菌や毒性物質が含まれる)
交通機関は使わない
・火を使わない
・化学物質は域値以下
・遺伝毒性のある発がん性物質は使わない


実は、食品安全委員会はこの考え方(青字部分)で問題を取り扱っています。
かつて日本には様々な問題があり、リスクはゼロであるべき、発がん性物質のあるものはダメだというのが、日本の規制でした。
だけど、そういうわけにもいかなくなり、1992年に初めて水道中のベンゼン含有量の規制で、「リスクはあるけど一定のところまでは認めるべきだ」としました。「10万分の1のリスクがある」ということをWHOが明言し、それに日本も従ったのです。
そのほか、大気環境においても10万分の1のリスクというものを認めています。このことから、基準より大きい場合は認めないけれど小さい場合はいい、という考え方になりました。
なぜかというと、リスクの裏にはベネフィットがあるからです。例えば、ベンゼンをゼロにしようということになったら、自動車を禁止しなくてはならなくなります。
しかし、食の安全の問題だけはいまだに「リスクはゼロであるべき」という考えを踏襲しています。化学物質は域値以下にして、発がん性物質は禁止というものです。


【リスクはゼロ、はない】
ところで、域値以下であってもリスクが本当にゼロであるというわけではありません。そのことを魚のメチル水銀問題から考えてみます。

以前、厚生労働省は、マグロの方がメチル水銀のリスクが高いのに、キンメダイやメカジキが問題だという広報をしました(*2)。日本人は一年に三回しかキンメダイを食べないのに、です。
*2:その後修正されました。魚のメチル水銀についてはこちらをご覧ください。妊婦さんがある一定の量以上のメチル水銀を摂取すると、発育中の胎児の神経系に影響を及ぼす可能性があるというものです。ただし、一定の量よりかなり多く食べた場合に、生まれてくる子どもの音への反応が1/1000秒以下のレベルで遅れる可能性があるという、小さなリスクです。

どうしてリスクを伝えないのかというと、リスクがあるということを認めたくないからです。あるいは、リスクがあると言った途端に不買行動など様々な影響が出てしまうことを恐れているのです。


【リスクを直視する勇気】
みなさんには、「リスクを直視する」ということを知ってほしいと思います。食の安全の問題について見ていると、リスクが小さいものほど大きな騒ぎになっています。市民活動もそうではないでしょうか。
私は、行政がメチル水銀のことやBSEの全頭検査のことなど、ああした態度をとるのに対して、みなさんにはもっと冷静であってほしいと思うのです。
魚にはメチル水銀のリスクがあったとしても食べないわけにはいかないのです。正面を見据えてほしいです。それから、BSEの全頭検査はほとんど意味がありません。こういうことに毎年30億もかけるなんてことは、ぜひ止めさせてほしいです。


リスク評価のひとつひとつの計算は難しいですが、それをしなくても、「どこからきているのか?時代とともにどうなっているか?」を考えると、意外と分かってくるものです。
食のリスクはゼロであるべきだという固定観念があると、本当のリスクを伝えることができなくなってしまいます。今回は費用の話はしませんでしたが、費用のことも考えてほしいのです。他の分野では既にそうなっていますが、食の分野ではできないということがまかり通っていて、非常に困ったことだなぁと思っています。


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記録が長くなってしまったので、この後行われた質疑応答の内容はまた後日ご紹介しようと思います。