食の安全研究センター「食と科学-リスクコミュニケーションのありかた-」(続き)

9月7日、東京大学大学院農学生命科学研究科食の安全研究センターによる講演会「食と科学-リスクコミュニケーションのありかた-」が開催されました。

前回は、欧州食品安全機関(EFSA)においてリスクコミュニケーションを担当しておられたイレーネ・ファン・ヘーステーヤコブ氏のお話をまとめました。
今回はその続きとして、EFSAで遺伝子組換え作物の生態学的影響に関するアドバイザーをしているスー・ハートリー氏(*1)のお話をご紹介したいと思います。
*1:氏は、英国王立研究所が毎年冬に開催する青少年向けの科学講座「クリスマス・レクチャー」の講師としても活動しています。この講座は日本においても、1990年から毎年夏に行われています。


☆「植物と人間 人類と食物との関わりの歴史」(英国王立研究所、サセックス大学教授、スー・ハートリー氏)

人類はずっと植物を「採集する」ということで利用してきましたが、約一万年前に農業を始めました。

植物にはリグニンやセルロースといった消化しにくい成分があるうえ、たんぱく質は少ししか含まれません。さらに、多くのものは有毒です。
そのため農業活動において、こうした植物の中から食べるのに適した種を選び、より良い植物へと品種改良を重ねてきました。


改良された植物(栽培種)は防御能力や毒性が低く、病害虫による攻撃に弱くなっています。ジャガイモを例にすると、野生種のものは小さいけれどもアルカロイドという毒性物質を多く含み、十分な防御能力があります。それに対して、現在私たちが食べているジャガイモにはアルカロイドは少ししか含まれていません。
また、野生種と栽培種を比較すると、栽培種は選抜育種されたことにより遺伝的な多様性が減少しています。このため、気候の変化や新しい病害虫の出現といった「変化」への適応能力が野生種に比べると低くなっています。


【人類はごく一握りの植物に依存している】
こうした品種改良の努力は一万年前から行われています。
人類がこの頃に食べていた植物はコムギやコメ、トウモロコシなどであり、今とそんなに変わりません。実は、今でも世界の食物の80%は12種類の植物に依存していると言われています。

こうした高い依存度は場合によっては危険となります。例えば、アイルランドは国民の三人に一人が同じ品種のジャガイモに依存していたところ、1846年に作物の葉枯れ病が流行しました。100万人が餓死し100万人が外国に移住するという事態になり、アイルランドは国民の1/4を失ってしまったのです。


【失われた形質を回復するための方法】
野生種のジャガイモはおいしくはありませんが、葉枯れ病への耐性をもたらす遺伝子を持っています。こうした遺伝子を野生種から栽培種のジャガイモに戻すことができれば、おいしく、かつ葉枯れ病にも強いジャガイモになります。

このための方法としてまず選抜育種が挙げられます。しかし、かなりの時間を必要とします。考えてみれば、コムギを現在の品種にするために一万年もかかったのです。
さらに、目標とするある形質を獲得させることは簡単ではありません。例えば、葉枯れ病に強いという形質を付与させたいのに、それ以外の形質(大きさや味に関するものなど)が付与されてしまうということは普通にあります。

そして、遺伝子組換え技術が挙げられます。この技術によって、他の種や個体の遺伝子を利用して、ある形質を迅速に変えることができます。


【開発されている遺伝子組換え作物】
最初の遺伝子組換え作物が開発されたのは1983年で、1994年に初めての遺伝子組換え食品(*2)が販売されました。現在では、世界のトウモロコシの25%、ワタの50%、大豆の80%が遺伝子組換えです。
*2:遺伝子組換え作物を利用して作った食品

葉枯れ病のような病気と同じく、農業において大きな問題となるものに害虫があります。そこで、遺伝子組換え技術を用いて、害虫に抵抗性のある作物が開発されています。
開発に利用する遺伝子は意外かもしれませんが、土壌細菌(バチルス・チューリンゲンシス)(Bt)のものです。この細菌は、害虫の幼虫に致命的なたんぱく質を生成するため、有機農業の現場においてはそれまでも噴霧して用いられてきました。
噴霧すると作物の外側にいる幼虫には効きますが、内部に入り込んだものには効きません。遺伝子組換え技術によって作物にこの細菌の性質を組み込むことで、より効果的に防除できるのです。
中国ではBtの遺伝子を組み込んだコメは、普通のコメに比べて収量が10%増加し、農薬の使用量が80%減少するという効果をもたらしました。
このほかにも、洪水に耐性のあるコメや光合成効率のいいコメなどが現在開発されています。


【今後予想される状況】
このようにして新品種を開発する理由は、今後も続く気候変動によって作物の収量が減少すると予想されているからです。
世界の食糧の需要と供給のバランスがこれほどまでに悪くなったことは、かつてないと言われています。
作物の生産に利用できる土地も水も減少してきています。その一方で、2030年には必要な食糧は50%にまで増加し、それにともなって必要な水は30%、エネルギーは50%増えると言われているのです。


***


講演の後に、クリスマス・レクチャーの様子が映像で流されました。
巨大なカボチャの端をスー・ハートリー氏が切り落とし、会場にいる子どもがぐちゃぐちゃのカボチャの実に手を突っ込んで種を採るという体験。イギリスにおいても授業の中で実験が減っているそうですが、クリスマス・レクチャーではこのような「見て、触れる」体験を通して、子どもたちに科学を楽しんでもらえたそうです。